綺麗な沖縄の姿だけではなく、「沖縄」というストリートのリアルな姿や、生々しい空気感を感じられる写真を撮る事で知られる写真家・石川竜一さん。
路上で寝起きしながらストリートの情景を撮り続け、有名になった写真家である石川さんとはどのような人物なのか?
今回は、その人となりを掘り下げたいと思います。
という形で、ご紹介していきます。
ぜひご覧ください!
写真家、石川竜一とは?
石川竜一さん 引用cinra.net日本屈指の観光地、沖縄。
白いビーチに青く美しい海と空。北部には世界遺産に登録されたヤンバルの自然。アメリカとの戦争の悲劇、そして占領。いまだに残る米軍基地問題。
そんな様々な文化、歴史をチャンプルーした島で生まれた写真家、石川竜一をご存じでしょうか?
1984年、沖縄に生まれた石川さんは、自分の生まれた沖縄の風景や、沖縄の人達のポートレイトを撮影し、圧倒的リアルな沖縄を写す写真家です。
2014年石川さんの周りの沖縄の風景、スナップ、ポートレートなどをまとめた写真集「絶景のポリフォニー」で、写真界の芥川賞とも言われる木村伊兵衛写真賞を受賞します。
そこからは沖縄を飛び出し、様々な場所に活躍の場を求め現在も精力的に活動しています。
石川竜一という写真家はどのような人物なのだろうか。
どのように写真と出会い、どのように沖縄を、日本を代表する写真家になったのか。
今回は、石川さんの経歴など様々な角度から「写真家・石川竜一」を掘り下げていきたいと思います。
石川竜一の経歴
石川竜一は1984年沖縄に生まれます。
小さい頃から石川さんは友達をいじめたり、逆にいじめられたりと、社会的生活を送るのに少々問題のある子であったそうです。
そんな息子を心配してか、父は石川さんにボクシングを薦めます。
石川さんにはボクシングという個人競技が向いていたらしく、高校を卒業するまでの6年間ボクシングに打ち込みます。
その腕前はインターハイで3位になるほどでした。
高校卒業と同時に石川さんはボクシングを辞め、沖縄国際大学に進学。
しかし、ボクシングを辞めたことで目標を失った石川さんは、鬱状態になり、自殺すら考える程になっていたそうです。
そんな中、偶然手に入れたカメラをきっかけに、石川さんは写真家としての道を歩むことになります。
石川竜一を形づくるもの
写真との出会い
大学に入学し、無気力になっていた石川さんはある日、那覇市内の浮島通りを歩いていました。
すると、リサイクルショップの店主に
「おい、これ買ってけよ」と声を掛けられます。
店主の手には、オリンパストリップ35というカメラが握られていました。値段は千円でいいと。
その時、石川さんのポケットには二千円が入っていました。
石川さんはその日、その二千円を使い切ろうとしていたそうです。
二千円を使い切るのはなんでもよかったそうで、そんな時にカメラを薦められたのは何か運命のように思えます。
石川さんはそのカメラを衝動的に買い、残りの千円で一本100円のフィルムを10本買います。
石川さんの運命を決定づけた、那覇の浮島通りのリサイクルショップ。 引用news.yahoo.co.jp後の木村伊兵衛賞を受賞することになる写真家が、初めてカメラを手にした瞬間です。
石川さんはこの時、二十歳でした。
カメラとフィルムを手にした石川さんは早速撮影を始めました。
全部のフィルムを使い、現像に出して出来上がった写真を見た石川さんは驚きます。
なんと全部の写真に何も写っていなかったのです。
実はこのカメラは壊れていました。
しかし、石川さんはカメラが壊れてるとは思わず、自分の使い方が悪いのだと解釈し、「何としても写したい」と、色んな人に使い方を聞いたそうです。
結果、石川さんは写真の知識をつけることになります。
そして現像屋の店主にカメラを見せたところ、壊れていることを告げられます。
石川さんは、「それならバイトして動くカメラを買おう」と決意します。
壊れたカメラを手にしたことによって石川さんは写真の世界にのめり込むことになっていきました。
石川竜一の写す被写体
引用webdice.jp
石川は22歳で、内地の自動車工場に季節労働に行きます。
夜は塩茹でパスタを食べる生活を一年送り、160万円を貯めたそうです。
そのお金でスウェーデンのメーカーのハッセルブラッドのカメラを買い、沖縄に戻り撮影を始めます。
当時を石川さん本人は
「写真家になりたいと考えていた訳ではなく、なんでもよかった。ひたすら撮って撮って、自分は消えればいい」
そう思っていたそうです。
大学を卒業する頃、石川さんは沖縄舞踏家のしば正龍に出会います。
石川さんは、しば正龍の凄まじい表現に驚き、写真を撮らせてもらおうと思います。
するとしばに、「踊りを習うこと」と条件を出され、しばの付き人のような生活を送ります。
それから2年後、石川さんは写真家の勇崎哲史と出会い、この二人の間を行ったりきたりの生活を送ります。
その生活の中で、石川さんは街を歩く人や、自分の周りの友達などの日常を撮り始めます。
この頃から石川さんの「沖縄のリアル」を写すスタイルが出来上がっていきます。
その当時の石川さんは、写真を撮り、酒を飲み、そのまま道端や公園で寝て、起きてまた写真を撮る。
そんな生活をしており、自宅にも週に一回風呂に入りに帰る程度だったそうです。
そしてまた、写真を撮り、酒を飲み、路上で寝る。その生活の中で石川さんは、沖縄の若者の日常を写していきました。
ある日、石川さんは、師事していた勇崎さんにポートレートを撮ることを薦められます。
勇崎さんは、沖縄の若者が沖縄の若者を撮る写真が見たいと思ったため、そう薦めたそうです。
勇崎さんに背中を押され、道ゆく見ず知らずの人達のポートレート撮影を始めた石川さんは、写真にさらにのめり込み、取り憑かれたかのように、道ゆく人に声を掛けシャッターを切ります。
無表情でカメラを見る人、暴走族、SEXに耽る若物、刺青。
独特の構図で写す石川さんの作品には、若さからくるやり場のないエネルギーを写真にぶつけているようにも感じます。
「ひたすら撮って撮って、自分は消えてしまえばいいと思ってた」
その開き直りにもとれる発言のとおり、石川さんは身の回りの出来事にシャッターを切りまくっていきます。
石川さんの沖縄のリアルを写すスタイルは、このようにして出来上がっていったのです。
圧倒的リアルな沖縄
石川さんの写す沖縄はあまりにも生々しく、リアルです。
それは石川さんが沖縄に住んでいるからこそ撮れると言えばそうなのですが、石川さんの作品の本質はそこだけではない気がします。
当たり前ですが、この頃の石川さんの作品は沖縄で撮られています。
それはすなわち、石川さんの生活圏内で撮られたということです。
若さゆえにハメを外した友人、暴走族、同性愛者、刺青、動物の死骸。
しかしこれらのモチーフは沖縄だからこそ撮れるもの、という訳ではないでしょう。
石川さんは「沖縄」を意識して写してるのではなく、あくまで自分の生活圏、自分の身の回りを撮影しています。
結果、それが沖縄のリアルな景色を写すことになっています。
沖縄という土地は、それ自体が写真のテーマになるような土地です。
国内外、様々な写真家が沖縄をテーマに取り上げています。
その中で石川竜一の作品が圧倒的にリアルな沖縄を切り取っているのは、石川さん本人があまり沖縄を意識せずに身の回りで起きたことにシャッターを切っているからでしょう。
結果、石川さんの写す写真は、沖縄という土地を浮かび上がらせるのです。
石川さんは、
「この島は、人間の欲と悲しみに振り回されてきた。だからこそ平和で豊かな南の島を夢見てきたし、そうであろうとしてきた。ただそれは、抑えることのできない欲と、それによって生まれるカオスをいつも孕んでいる。ただ、そんなことは僕らの世代にとっては、生まれる前からある当たり前のことで、それをどうこう言う奴なんてほとんどいない」
木村伊兵衛賞を受賞することになる作品、絶景のポリフォニーの最後にこう記しています。
沖縄で生まれ育った石川さんには、沖縄が抱えている問題など、当たり前のことであり、特別意識することはない、ということなのでしょう。
沖縄だから、ではなく、沖縄だった。
石川さんの持つ特別な眼差しの先にある景色が、生まれ育った沖縄での日常であった。
だからこそ、石川さんの作品には本物の沖縄が写っているのだと思います。
木村伊兵衛賞受賞
ひたすら写真に耽る石川さんは、2014年「okinawan portraits 2010-2012」と「絶景のポリフォニー」
と題した二冊の写真集を、赤々舎より出版します。
絶景のポリフォニー 引用shashasha.co
okinawan portraits 2010-2012の方は、石川さんが路上で話しかけ撮影した人物や、友人などのポートレイトを集めた作品です。
そしてもう一冊の絶景のポリフォニーは、石川さんの身の周りの風景やポートレイトなど様々な「絶景」を集めた作品です。
そして2014年、石川さんはこの二冊の作品で、写真界の芥川賞とも言われる木村伊兵衛写真賞を、同じく写真家の川島小鳥と同時受賞します。
石川さんは一躍、写真界に名を馳せることになります。
その授賞式で石川さんは、
「街でふらふらしてるのが一番楽しいけど、たまにはこうゆうのもいいかもしれないですね」
と、ストリートから出てきた石川らしいコメントをしました。
賞を受賞したことにより、この二冊の写真集は売り切れになってしまい、現在、廃盤となっているそうです。
賞を受賞してから石川さんは、沖縄を飛び出し、様々な場で活躍していくことになります。
しかし生活の拠点は沖縄に残したまま、です。
森山大道に嫉妬される?
森山大道 引用nikkan-gendai.com少し話がそれるのですが、森山大道という写真家をご存知でしょうか?
写真に携わる物なら知らない人はいないと言っても差し支えのない、日本を代表する超ビックネームの写真家です。
森山さんはカメラを初めて手にしてから50年、写真界の大ベテランです。
当然石川さんも、写真を始めた初期から森山さんを知っていて、森山さんの写真を真似て撮影していたこともあるそうです。
2014年、木村伊兵衛写真賞を受賞することになるこの年、石川さんは初めて森山さんに会うことになります。
森山さんの個展が沖縄で行われ、その同じ会場で沖縄の若い写真家のポートフォリオ展に石川さんは参加します。
そこで石川さんは森山さんに作品を見てもらうことになります。
作品を見た森山さんは石川さんにこう言ったそうです。
「続けろよ。大変だと思うけどしたたかに」
それを聞いた石川さんは、「家にも帰らず道端で写真を撮っていたからそのままでいいんだ!」
そう思ったそうです。
石川さんの作品を見た森山さんは、一瞬オレは石川竜一に嫉妬した、そう語っています。
森山さんは、ベテランながら、素晴らしい作品を見ると嫉妬の念を抱く写真家として有名だそうです。
石川さんの作品が大御所にも認められたエピソードです。
様々な活動を経て今
木村伊兵衛賞を受賞した石川さんは、沖縄を飛び出し精力的に全国で個展などを行っています。
フランスに撮影も行ったそうです。
あの宇多田ヒカルが音楽活動を再開した際の、ポートレイト撮影も石川さんが担当しています。
様々な活動の中で石川さんは、サバイバル登山家として有名な服部文祥と出会います。
最低限の食糧と道具だけ持ち、山に入る。
食糧は山での狩猟で獲る。
そんなサバイバル登山に同行し、そこで見た物を撮影し「CAMP」という作品を発表します。
自分が撮っていた街のストリートではなく、大自然での過酷な環境での撮影に、最初は何を撮っていいかわからなかったそうです。
そして何度か服部さんに同行した石川さんは、わからないなら、わからない物を撮ろうと思ったそうです。石川さんの持つ特別な目は、また新しい世界を見つけました。
それから何度も服部の登山に同行した石川さんは、登山中に狩猟し、得た獲物の内臓を撮影し、作品にまとめました。
「命のうちがわ」より 引用imaonline.jp
それが最新作の、「命のうちがわ」と題された写真集です。
見てみると、そのショッキングな内容に驚きます。
現在も様々な個展など日本全国で精力的に活動しています。
石川さんが見る景色は年を重ねるごとに変化していき、それを写真を通してどのように表現してくれるのかが本当に楽しみです。
石川さんのこれから
先にも述べたように、石川さんは全国、さらには日本を飛び出して活動しています。
コロナ禍の騒動も落ち着きをみせた現在、ますます海外に飛び出し、グローバルな、日本を代表する写真家になっていくと思います。
石川さんは、2016年okinawan portraitの続編、okinawan portrait 2012-2016 を出版します。
その作品で、沖縄の肖像は一旦終えると語っています。
現在、多忙な石川さんは、内地と沖縄半々の生活をしているそうです。
その中で、沖縄の撮影を一区切りするのは自然のことと本人は思っているようです。
しかし、もう沖縄を撮らないと言うことではないとも語っています。
年齢が上がるごとに人は変化します。それは当たり前のことです。
その変化の中で、石川は次にどんな目線を向けるのか、楽しみで仕方ありません。
日本を代表することになるであろう写真家、石川竜一。
そんな彼の作品に、改めて目を通してみてはいかがでしょうか?
参考
藤井誠二 路上の熱量
石川竜一 絶景のポリフォニー
中古市場での評価について
ここまで石川竜一さんの人となりについて掘り下げてきました。上述したように、これまで出版した作品の中には絶版になってしまったものもある石川さん。
そういった石川さんの作品たちは、中古市場でもとても高く評価され、高額で取引されています。
とくに木村伊兵衛写真賞を受賞し、一気に世間の注目を集めた「okinawan portraits 2010-2012」と「絶景のポリフォニー」においては、現在も1万円前後と写真集にしてはなかなかの高額で取引されています。
石川さんの写真集の購入をお考えの方は、お目当てのものを発見した際には早めに手に入れるのが良いかもしれませんね。
また、売却をお考えの方は品物の情報をしっかり記載したうえで売却すれば、しっかりした金額で売却する事が可能といえるでしょう。
そして石川さんの使用機材といえば、記事内でもご紹介したようにスウェーデンのメーカー、ハッセルブラッドのものが有名です。
定価で100万円前後するものも多く、中古市場ではボディだけで10万円〜100万円前後までと、なかなか手の届きにくい高級なカメラといえます。
1台目に買ったカメラが壊れていたからといって、アルバイト代160万円を貯めていきなりハッセルブラッドを購入する所に、石川さんの思い入れやブランドへの憧れが感じられます。
精密な機械ということもあり、中古のカメラを買い慣れていない方は信頼できる事業者を通して中古カメラの販売や売却をおこなうのがおすすめといえます。
ここまで読んでくださった方へ
ここまで読んで下さりありがとうございました。
今回は、生々しく息づくような、被写体のリアルな姿を切り取る写真家、石川竜一さんについてご紹介させていただきました。
meseeでは、様々なジャンルの買取に強みのある事業者さんに出会えます。
大切なお品物、「処分しようかな?」と考えた時に、せっかく売るならしっかりと知識があって信頼できるショップに売りたいですよね。
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